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和牛の歴史について

  • 下川
  • 2024年6月3日
  • 読了時間: 10分

更新日:5月30日

和牛は、国内だけでなく、海外からも高い評価を受けています。

また和牛は、2024年のインバウンドから人気の高い主な農産物のトップにも挙げられるほど人気の高い食材です。

そこで今回は、和牛の歴史と変遷をご紹介します。

和牛の歴史や背景を知ることで、和牛についての知識が深まります。


和牛の歴史

和牛の歴史は、遺跡から出土した遺物から、弥生中期に東京の伊皿子貝塚で出土した牛骨が最も古い出土例と言われています。

出土した牛骨の形態は、在来牛の見島牛や口之島牛のものと似ていたそうです。

魏志倭人伝にも「其地無牛馬虎豹羊鵲」とあるように、もともとは日本にはおらず、和牛の歴史は弥生以降に朝鮮半島を経由して渡来したと言われています。


※伊皿子貝塚は現在の東京都港区三田4丁目19に所在する縄文時代から江戸時代に及ぶ複合遺跡です。


日本の牛肉の歴史と和牛の認定について

牛は当初、役畜(農耕や運搬などの労役に用いられる家畜)として飼育され牛肉食の対象とはされていませんでした。

奈良時代に入り、仏教の影響から動物の殺生や肉食が禁じられるようになります。675年(天武4年)に天武天皇が日本で初の肉食禁止令を出してから、その後も継続され、食肉に対する禁忌は1871年(明治4年)明治天皇の肉食解禁令まで約1200年続きます。


明治以前

牛は貴族や大金持ちの家畜や農耕の為の役畜として飼育されていました。

江戸時代に入り、「生類憐みの令」により獣肉食への禁忌が強まる中、牛肉を使った最古の料理としては近江国(滋賀県)の彦根藩が牛肉の味噌漬けを江戸の将軍家に「薬食い」として献上していた記録があります。

江戸中期になると蘭方医学も獣肉食に影響をし、牛肉は滋養強壮の薬として実際には食べられていたようです。また、日本最初の牛鍋屋は1862年(文久年)横浜の「伊勢熊」(諸説あり)だそうです。

和牛の歴史としては、江戸時代末期から、近親交配により、特に優れた和牛の系統群の「蔓牛」として系統の維持・固定が行われ、これが現在の和牛の礎となっています。


明治以降

1868年(明治元年)となり、新政府は肉食を奨励するようになります。背景には、富国強兵の為、国民の強壮な身体づくりが求められ、滋養があるとされる動物性食品に期待が高まったためです。

1872年(明治5年)明治天皇が宮中晩餐会で初めて牛肉を食べています。当時の新聞には「我が朝においては、中古以来肉食を禁ぜられしも、恐れ多くも天皇はこれを謂れのない事と思召して、これより肉食をあそばさるる旨宮内にお定めこれありと伝う」といった記事の記録があります。天武天皇以来約1200年続いた、肉食禁止令が解禁となりました。

和牛は明治に入り需要が増加する一方、国産牛肉の減少問題が出てきました。そこで各地で在来種の改良増殖施策が開始されます。また、1900年(明治33年)には、種牛改良調査会が農商務省(現在の農林水産省と通称産業省の前身)により設置され、改良を目的とした外国種の輸入と在来種と交配試験や雑種の能力試験が実施されるようになりました。

この時期は在来和種と外国種との交配によって、外国種の発育能力が求められた、雑種奨励時期になります。


和牛の登録が一元化

1917年(大正6年)に農商務省により、米澤牛や但馬牛、岩泉牛(後の日本短角種)、阿蘇牛(後の褐毛和種)等の約61種類が当時「和牛」として報告されています。

同時に和牛について各県ごとに改良目標を設定し、「和牛」の整理をすることが指導されています。外国種の交配により雑ぱくとなっていった和牛を整理し、固定種の造成にとりかかった時期です。

その後、1944年(昭和19年)になり和牛の登録が一元化され、黒毛和種、褐毛和種、無角和種に固定種として認定されました。日本短角種は遅れて、1957年(昭和32年)に登録されています。これが現在も和牛の代表4種となっています。


近年の和牛の歴史

戦後の食料増産期を経て、高度成長と外食産業の台頭により牛肉消費は拡大を続けました。昭和30年代中期ころまで牛肉は役用牛肉と言われてきましたが、高度成長期に移行し、農業も近代化を模索する時期になり、役用牛も農耕の役目が変化してきました。

1973年のオイルショックや日本の食料自給率の低さなどから、日本は1973年に海外牛肉の輸入停止を決定しました。

その後、1991年に牛肉を完全輸入自由化がされ、和牛は、輸入牛肉との差別化のため、ブランド牛の造成に力を注がれていきます。

2003年には農水省による「ブランド・ニッポン」戦略など和牛のブランド化が全国に広まっていきました。

国内でもBSEの問題や偽装表示流通など牛肉市場が打撃を受ける中、牛肉の付加価値として安全やトレーサビリティーの重要性が注目され、和牛の高い品質はさらに差別化が図られていきました。


和牛維新

1962年(昭和37年)に役用牛肉を日本独自の肉専用種とする事業が生まれました。

これを和牛維新と呼んでいます。

これまで農耕の使役を考え、役用牛は小柄で外国種より増体の少ないものでしたが、大型の外国種の増体能力と在来和牛の肉質を備えた日本独特の肉専用種にするべく、肥育技術や審査標準が整えられてきました。


和牛の高級ブランド人気

和牛が肉専用種となったことで、特に黒毛和種に代表される「サシ」という脂肪が多い牛肉が高級品として扱われるようになってきました。当初和牛はまず肉量が求められ、肉質については、もともと和牛は本質的に優れており、当時は今の格付け基準とは異なるものの、今でいう最上クラスの肉質を求めていくものではありませんでした。

しかし、1991年牛肉の自由化に伴い、輸入牛肉との差別化を図るため、和牛は肉量や肉質に優れた和牛造りが加速し、一層の脂肪交雑の改良が求められていきました。


うつりかわる和牛の嗜好

和牛独特の香り(和牛香)や口溶けの良い霜降りも人気ですが、近年、脂質が少なくビタミンが豊富で高タンパクな赤身肉の人気も高まっています。

和牛はこれまで脂肪の量(脂肪交雑)が肉質の評価に大きく影響を与えてきましたが、近年は脂肪の質にシフトしていく流れも生まれてきています。


日本三大和牛とその歴史


日本三大和牛

日本三大和牛を調べていくと、「神戸牛」「松坂牛」「近江牛」「米沢牛」と4銘柄が挙げられてきます。

日本農業新聞の記事によると、日本食肉格付協会や農林水産省、日本食肉消費総合センターからも「定義はなく、どんな理由で言われるようになったかは不明」とあり、明確に決められたものでは無いようです。

一説では、1991年の輸入牛肉自由化により、和牛のブランド化が進む中で、和牛の歴史が長く、出荷条件も厳しい4銘柄がブランド和牛として価値を高めるため、日本三大和牛と呼ばれるようになったのではないかと言われています。



和牛は世界的にみても珍しい存在

和牛は日本固有の「食肉牛」として、食肉専用牛にこだわって肥育されています。和牛は肉質の改良を目的に、日本独自の基準で交配、肥育されています。海外では乳肉兼用種が一般的な中、和牛は世界的にもめずらしい存在と言えるでしょう。


神戸牛(こうべぎゅう)

神戸牛(神戸肉、神戸ビーフ)は、出荷の際に、但馬牛の中から生育環境や血統、肉質において厳しい基準を満たした牛肉に与えられる称号を指します。

但馬牛は兵庫県産の黒毛和種であり、江戸時代から現在に至るまで純血の血統を守り続けている牛です。

神戸牛の基準は世界一厳しいとされ、未経産牛または去勢牛であることや、認定生産者であること、純兵庫県産であることを始め格付け等級においても厳しい基準が求められています。神戸牛の特徴は、赤身の持つ旨味と脂肪の香りが絶妙に溶け合う最高級の「霜降り肉」とされています。


松阪牛(まつさかうし・まつさかぎゅう)

松阪牛は黒毛和種の未経産牛であり、松阪牛生産区域での肥育期間が最長・最終であることや、松阪牛個体識別管理システムに登録された牛の事を指します。

松阪牛は「肉の芸術品」とも評され、牛の脂肪をまんべんなく付けるためのマッサージや毛並みを良くするための焼酎でのマッサージや放牧などの肥育方法がとられています。

松阪牛の特徴は熱を加えた時の和牛香が甘く、コクがある上品な香りと融点が低くとろけるような食感とされています。


近江牛(おうみぎゅう)

近江牛の歴史は大変長く、約400年の歴史を持ちます。

江戸時代に彦根藩が味噌漬けにした牛肉を養生薬として将軍家に献上していたのが、近江牛になります。

出荷頭数も年間わずか6000頭に限られ、生産者のこだわりと技術により肥育された希少性の高い和牛です。琵琶湖を囲む山々からの豊かな水と肥沃(ひよく)な土地で肥育され、繊細な旨味と脂味は日本料理だけでなく、海外の著名なレストランからも注目されています。

近江牛の特徴は、「サシ」が細かく、肉質がきめ細やかで柔らかな事が特徴とされています。


米沢牛(よねざわぎゅう)

米沢牛は明治初期に藩校へ招へいされた英国人が横浜へ持ち帰ったのが評判となった事が発祥と言われています。米沢牛は黒毛和種の未経産牛で、認定生産者であること、生産地は山形県の置賜地域内での飼育期間が最も長く、生後月齢32ヶ月以上のものであることや格付け等級基準などを全て満たした牛肉に与えられる称号です。

米沢牛は、きめ細やかな霜降りと甘味のある赤身、融点が低く口溶けの良い食感が特徴とされています。


まとめ

和牛の登録が一元化されてから、今年で80年。和牛の歴史を知ることで、和牛が日本の農業経済を支え、経済にどのような関わりを持ってきたかを知ることができます。

また、改良機関や肥育農家の長年の努力により、世界的に見ても和牛は日本固有の存在であり財産であることがわかります。和牛の歴史を知ることで、食材としての和牛をより深く知り、和牛を購入する際やレストランで選ぶ際に良い選択ができるようになります。


牛肉料理しもかわでは、唯一無二の牛肉を求め続けてきた「牛肉のプロ」のオーナーシェフが厳選した希少種の無角和種の阿武牛、また在来種で和牛のルーツである見島牛などを使用したメニューをご用意しております。


練馬区の大泉学園駅から徒歩圏内にお店がございますので、お時間ございましたら、ぜひお気軽にご来店ください。お電話・フォームからのご予約も承っております。



[English version]

The History of Wagyu: From Ancient Times to Modern Delicacy


Wagyu, renowned for its rich flavor and marbled texture, has a history deeply intertwined with Japan's cultural and agricultural evolution. This article delves into the origins and development of Wagyu, shedding light on its transformation from a work animal to a culinary treasure.



Ancient Origins

Archaeological findings suggest that cattle were introduced to Japan from the Asian continent around the 2nd century AD. Initially, these animals were primarily used for agricultural purposes, such as plowing fields and transporting goods. Due to religious and cultural beliefs, particularly the influence of Buddhism, the consumption of meat was largely prohibited, and cattle were not bred for their meat or milk.



Transition During the Meiji Era

The Meiji Restoration in 1868 marked a significant turning point. As Japan opened up to Western influences, the ban on meat consumption was lifted, and the Japanese diet began to incorporate beef. This shift led to the importation of foreign cattle breeds, such as Ayrshire and Simmental, in an effort to improve the size and meat quality of native Japanese cattle. However, these crossbreeding attempts often resulted in cattle that were too large for Japan's terrain and lacked the desired meat quality. Consequently, efforts refocused on refining native breeds.



Establishment of Wagyu Breeds

By the early 20th century, selective breeding programs led to the establishment of four primary Wagyu breeds:


  • Japanese Black (Kuroge Washu): Known for its superior marbling and accounting for over 90% of Wagyu cattle.


  • Japanese Brown (Akage Washu): Recognized for its leaner meat and raised mainly in Kumamoto and Kochi prefectures.


  • Japanese Shorthorn (Nihon Tankaku Washu): Valued for its rich flavor and raised primarily in northern Japan.


  • Japanese Polled (Mukaku Washu): A rare breed developed through crossbreeding native cattle with Aberdeen Angus.


These breeds were officially recognized in 1944, solidifying the foundation of modern Wagyu.



The Legacy of Tajiri-go

A pivotal figure in Wagyu history is the bull "Tajiri-go," born in 1939 in Hyogo Prefecture. Tajiri-go's lineage is considered the cornerstone of the Japanese Black breed, with his descendants contributing significantly to the breed's renowned marbling and meat quality. It's estimated that over 99% of Japanese Black cattle today trace their lineage back to Tajiri-go.


Modern Developments and Global Recognition

In the latter half of the 20th century, Japan implemented stringent measures to preserve the purity and quality of Wagyu. The introduction of the Beef Traceability Law in 2003 ensured that all cattle could be tracked from birth to sale, maintaining consumer trust and product integrity. Today, Wagyu is celebrated worldwide, with brands like Kobe, Matsusaka, and Omi gaining international acclaim for their exceptional quality.


For more detailed information, you can visit the original article here: 牛肉料理しもかわ


 
 
 

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